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「スターリミルク」物語その2

 

 ■「スターリミルク」物語  シリーズその4

 米国オハイオ州のスターリ牧場、スターリ研究所や多くの大学、病院での研究や「オハイオサーベイ」と呼ばれる9,000名におよぶ試飲結果を踏まえ、スターリ社はいよいよ、「スターリミルク」の商業的生産を決断しました。世界中の乳業メーカーを探した結果、このプロジェクトに最も適切なメーカーがニュージーランドで見つかりました。
 
 ちょうどその頃、兼松鰍フニュージ-ランドの首都オークランド支店に勤務していた駐在員H氏は、同国の食品分野への新しい素材の売り込みに毎日汗を流していました。そんなある日、彼は「健康にとても良いミルクが新たに開発されニュージーランドで近々商業生産が始まる。」というニュースを聞きつけました。


 早速、H氏はニュージーランド最大の乳業メーカーであるNZDB=ニュージーランドディリーボード社(当時)を訪問し、そのミルクのすばらしさを聞き、商社マンの直感で「これは人の健康に役立つビッグビジネスになるぞ!」と思い、急遽東京の本社に帰国し、このミルクのすばらしさを報告しました。東京本社の部長のI氏もこのミルクの可能性に強い関心を示し、本社の開発案件として取りあげるよう強く新規開発案件室に働きかけました。

 議論が重ねられ、新しい分野の健康食品であり、アメリカだけのデータのみで販売するのではなく日本でも独自に試験をしようということになりました。そこで、当時まだ、20代だった若手商社マンO氏は当時医学会の最高権威者である九州大学生体防御医学研究所の野本亀久雄先生の研究室の門を叩きました。
 

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